大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(行コ)8号 判決 1970年6月30日

控訴人

酒井りつ

代理人

佐藤義弥

外三名

被控訴人

右代表者

小林武治

代理人

横山茂晴

外一名

主文

原判決中被控訴人の関係部分を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金一三六万八、〇〇〇円およびこれに対する昭和三六年四月二七日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一、請求原因第一、第二項の事実は、本人の発病時期の点を除いて、すべて当事者間に争いがなく、本人の死亡診断書に記載されているがん疾患が人事院規則一六―〇(職員の災害補償)に定める公務上の疾病にあたらないことは、同規則第一〇条およびその別表第一により明らかであり、本人の病状が本件調査に従事するという公務遂行中に増悪したことも当事者間に争いがない。

二、本人の平常時および本件航海前後の健康状態ならびに本人が発病し死亡するにいたるまでの経過については、次のとおりの事実を認めることができる。

1  本人の平常時および本件航海出発前の健康状態について本人が昭和三二年中にがん研究所付属病院で診察を受けたが、がんの徴候は認められず、また、昭和三三年以前に医師船山市朗の診察を受け、本件航海前の昭和三四年四月三日および同月二三日頃にも同医師の診察を受け慢性胃カタルと診断されたことならびに昭和三四年五月九日の勤務庁における定期健康診断において心臓肥大および大動脈硬化症と診断されたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、前記がん研究所付属病院において昭和三二年慢性胃カタルおよび大腸炎との診断を受けており、船山医師の前記診断も本人の胸やけの主訴に基づくものであつたし、昭和三四年五月九日の定期健康診断において前記症状のほか横隔膜挙上等の異常が発見されており、本件航海出発直前まで便秘がちで船山医師から胃腸内服薬の投与を受けているのであつて、その頃外見上は健康そのもののように見えたとはいえ、ある程度の自覚症状を伴つた胃の不調がみられたものということができ、右認定に反する証拠はない。

2  本人の本件航海中の症状の経過について

本人が出航後の昭和三四年六月下旬頃から腰部に鈍痛を覚えはじめ、同年七月上旬背部および左大腿部裏側にも疼痛が拡がり、同月中旬には胃痛を伴うようになつたこと、同月三〇日アダック島の米国海軍病院において診察の結果胃けいれんと診断されたことおよびその後も症状が悪化の一途をたどり、同年八月中旬頃には船内の歩行も困難なほど衰弱するにいたつたことは、当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、本人は出航後間もない頃から便秘勝ちで重症用下剤を服用し、同年六月下旬頃の腰痛も持病の神経痛が再発したものと思いこみ、鎮痛剤、あんま、指圧等による治療を試みていたこと、同年七月中旬頃も便秘は依然おさまらず、便は黒色を呈し、時折悪心があり、食欲不振、全身倦怠感を覚えるようになつたことならびに本人の航海の食事は当初時折軟かゆをとる以外は、普通食であつたが、同年七月下旬頃からはパン、ジュース、スープ、ミルク程度しか食べなかつたことが認められ、これに反する証拠はない。

3  本人の入院から死亡までの病状の経過について

<証拠>によれば、昭和三四年八月二五日市立釧路総合病院入院当時における本人の病状は、高度の貧血のため顔面蒼白で、肝臓は右の乳線上に三横指の触知があり、非常に硬く、肝左方に小手拳大の腫瘤が触知できる等の非常な重症であつたところ、同月三一日ウイルヒヨウ腺転移が覚知され、種々治療の効果もなく同年九月三日死亡したことが認められ、これに反する証拠はない。

4  本人の死因病名および発病時期等について

<証拠>によれば、本人の死亡病名は胃がん兼肝およびウイルヒヨウ淋巴腺転移ならびにがんの後腹壁への波及であり、臨床上右胃がんの発病の時期は昭和三四年四月上旬以前であることおよび前記のような症状の推移からみて同年六月下旬頃には治癒手術不能の状態となつていたこと、換言すれば、同年六月下旬以前であれば治癒手術の可能性がないでもなかつたことが認められる。<証拠判断省略>

三、ところで、国家公務員が疾病により死亡した場合において、右疾病が国家公務員災害災害補償法に基づき制定された人事院規則一六―〇別表第一所定の公務上の疾病にあたらなくてもその疾病が公務に従事することによつて著しく増悪し、これがため当該公務員が死亡するにいたつたときは、右死亡が公務上の死亡にあたるものとして、その遺族において補償請求権を取得するものと解するのが相当である。本人が一般職に属する船員たる農林技官であることは、当事者間に争いがなく、したがつて、本人に関する災害補償については、当時施行の人事院規則一六―一「船員である職員の災害補償」に準拠すべきものであるが、右規則による補償請求権取得の有無についても、前記と同様に解すべきである。そこで、前記認定の事実関係のもとで、本人の本件航海従事が同人の疾患である胃がんを著しく増悪せしめた結果本人を死亡するにいたらしめたものであるかどうかについて考える。

本人が本件航海による調査事務において、昭和三四年五月二〇日から同年八月二五日までの四か月余にわたり、アリューシャン列島、カムチャッカ半島方面の海域の劣悪な自然環境のもとにおいて、医師も医療設備もない船舶に船長として乗船し、乗組員らの指揮監督および操船の責任者として激しい勤務条件に耐えることを要求されていたのであり、右乗船期間中身体の不調を覚えても、船内備え付けの医薬品の支給を受けうるにすぎず、診断手術等の医療を受ける機会を奪われたとひとしい状態にあつたことは前記のとおりである。もつとも、本人が本件航海の途上アダック島の米国海軍基地に四回にわたり寄港し、そのうち本人の症状が最も悪化した第四回目の寄港の際に同基地の病院において診察および医薬の投与を受けたことは、前記認定したところおよび<証拠>により明らかであるが、このように右基地に寄港する機会があつたとしても、長途の航海途上の船長の職責からみて、本人が右の機会に適切な診断治療を受けることは到底期待しえないところであつた。すなわち、本人としては、本件航海中に発病しもしくはそれ以前に罹患していた疾病が増悪しても、医療を受ける機会が与えられていなかつたものということができる。

右のように医師を乗船させることなく僻地における長途の航海に公務として従事させる以上、その船員の所属庁としては、あらかじめ、その各船員につきこのような航海に耐えうる健康状態にあるかどうかを調査し、必要とあれば精密な健康診断を実施し、疾患を有する者に対してはこれを治療すべき機会を奪い去ることのないよう努めるべきであつた。まして、前記認定したところによれば、本人は本件出航前の昭和三四年上旬以前に胃がんに罹患していたとはいえ、同年六月下旬頃までは治療手術も不可能ではなかつたというのであり、したがつて、本人がもし本件調査事務に従事しなければ有していた筈の治療手術を受けるべき機会を右事務に従事させることによつて完全に奪い去つたことになるわけである。このように、医療を受けることの不可能な環境におかれるこれを前提とする公務に従事中病勢が悪化して治療手術が不能となり、ついに死亡するにいたつた場合には、公務の遂行により疾患が著しく増悪してこれがために死亡したものというべきであり、右死亡は前述の公務上の死亡にあたるものといわなければならない。

もつとも、前掲梶谷鑑定人の鑑定の結果によれば、がんはひとたび発生すると外部からの影響がなくても自律的な増殖性をもつて拡大進行してゆくというのが医学上の定説とされており、激務による肉体的および精神的消耗が病理学上胃がんの増殖に著しい影響を与えるものとは考えられないというのであるが、かりにこの説が正しいとしても、前記判断を左右するものではない。また、<証拠>によれば、本人は本件出航当時がんの自覚症状はなく外見上頑健そのものであり、船山医師から胃の精密検査をするようにすすめられたのにもかかわらず検査を受けることなく出航したことが認められるが、さりとて、本人がもし本件調査事務に従事しなくても治療手術の可能な昭和三四年六月下旬前に治療手術を受けなかつたものと断定することはできず、むしろ、本人が前記のように医師のすすめに従わなかつたのは、本件出航を間近にひかえ、その進備のため船長としての職責を果たすのに忙殺されて精密検査を受ける機会を失つたがゆえであるとも推認されるのみならず、本人は昭和三二年当時がん研究所付属病院においてみずから健康診断を受けていること前記認定のとおりであるから、本人がもし業務のため本件調査事務に従事することがなければ早期に医師の診断および治癒手術を受けもつて死の結果を回避する機会は十分あつたものということができる。さらに、前掲梶谷鑑定人の鑑定の結果によれば、胃がんの手術を行なうためには事前に種々の検査をする等の準備が必要であり、昭和四〇年当時においてさえも、そのための期間として通常は少なくとも一〇日ないし二週間を必要としたことが窺われるが、そうであるからといつて、本件において本人の胃がんの手術の可能性およびひいてはがん疾患の治癒の可能性を否定し去ることはできない。

四、以上の次第であるから、本人の死亡は前記規則にいわゆる公務上の死亡にあたるものというべきであり、したがつて本人の遺族であり葬祭を行なう者である控訴人に対して、同規則による遺族手当および葬祭料が支払われるべきところ、右遺族手当の額が一二九万六、〇〇〇円葬祭料の額が七万二、〇〇〇円であることは、当事者間に争いがない。ところで、人事院が控訴人の本件災害補償に関する審査請求につき、昭和三六年四月二六日大事院指令一六―五をもつて本件災害が公務上のものとは認められないとの判定をしたことは、記録上明らかであるが、前記認定判断したところによれば、本人の死亡は公務上の死亡にあたるものとの判定がなされるべきであつたこととなり、したがつて、被控訴人としては、右判定の日を経過した時期においては右金員支払いにつき遅滞に陥つていたものというべきであるから、控訴人に対して前記金額合計一三六万八、〇〇〇円およびこれに対する右判定の日の翌日である昭和三六年四月二七日から支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は失当であるから、刑訴法三八六条に従い、これを取り消して本訴請求を認容し、訴訟費用の負担につき、同法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。(室伏壮一郎 園部秀信 森綱郎)

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